かわらばん2021年8月号
建築家・五十嵐直雄は、東京帝国大学建築学科を卒業後、満州へ就職し、現地にて終戦を迎えた。その後、空襲で壊滅した郷土・福井に帰郷し、新制・福井大学の教員となり、戦後復興に多大に貢献した。五十嵐の設計作品は、戦前の構成主義の残像が残るモダニズム表現の吉田医院(1955・左図)から、次に同世代の丹下健三等が試みた日本独自の戦後モダニズム表現を固有の立場から模索し、福井神社(1957)はそれを最も体現する。その設計思想は、伝統様式の「真壁」を面の構成で近代的に捉え直した独自の『真壁の意匠』論であった。更に同時期のいろは旅館(1957・右図)からより繊細な建築表現を試み、九鬼周造の『「いき」の構造』をもって深化した。こうした五十嵐の設計態度に内在する近代性vs風土性は、現代を生きる我々から改めて見直す価値があるだろう。(朝日)
五十嵐直雄のことば
建築家はScientistであり、 Artistでありあえない。建築 の美は、あくまでも構造それ自体、又はそれらの誘発され る美である。建築家はこの点 より出発し、 Scientificに設計 しなければならぬ。 卒業論文(1938)より


