かわらばん2022年3月号
1920年発足の分離派建築会を起点としたモダニズム建築は、続く戦中期のナショナリズムによる抑制を経て、戦後の復興期に日本的な伝統表現を新たに模索する形で再スタートした。丹下健三や大江宏が東京を中心に取り組む中、福井での五十嵐直雄は、町家風イメージの「吉田医院1955」を構成主義的手法から設計し、さらに全国で初めて神社建築にモダニズム表現を試みた「福井神社1957」へ到達し、そして雪国の風土性から鉄骨三角形トラスの構造体を?き出した「福井市体育館1959」を含め、この独自な「真壁」の意匠的解釈から当時の日本建築界の伝統論争に挑戦した。こうして福井のモダニズム建築を先導した五十嵐を追って、中谷肇「足羽山送信所1960」や上川禎彦「善道寺本堂1964」、木村慶一「福井空港ビル1965」、高木相良「燈明寺本堂1965」などが競い合うように実現した。しかし、乾馨「繊協ビル1967」や伊藤貞・畑山實「福井市文化会館1968」の頃には、次代のポスト・モダニズムが到来しようとしていた。このように戦後建築界の一時代を担ったモダニズム建築は、福井においても独特な展開を見せており、各地で解体が進む中で改めて、その意義・価値を再認識する必要がある。さて次号が、最終回である。(朝日)





