かわらばん2021年6月号
建築家・坂部保治は、東京帝国大学建築学科を卒業後、実務等を経て日本海側唯一の建築科が設置された福井高等工業学校に主任教授として着任した。ドイツ留学を活かした構成主義的教育で優秀な学生を多く輩出したことで知られる。しかし空襲・震災により当校舎は大被害を受けて学校再開が困難な状態となり、学校移転が浮上した中で坂部は、復興事業に取り組む福井市長・熊谷太三郎と協力する関係になった。
坂部は、建築家と大学教員の立場から戦後復興に取り組み、その設計スタイルは、戦前の福井高等工業学校講堂(1927)やアルト会館(1930)に見られるアールデコ・表現主義的なものから、戦後の福井市郷土博物館(1952)と福井市郷土歴史館(1953)に見られるモダニズム的表現へと変遷して行くが、その態度は一貫して構成主義的だった。その他、市内各地に記念碑などを設計した。(朝日)


